泥濘と薔薇

北東北、海辺のベランダで育つバラの記録です。

雨の週末、バラを諦めたこと

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20℃/13℃の肌寒い雨の週末。

家人や家人の妹さんは「暑い」と言っていて、真夏には体感40℃くらいになる名古屋育ちの私にはたぶん一生理解できない感覚だなと思った。幼い頃から身体がそういう気候で生きていくよう順応してきたのを、今更メンテし直せるとも思えない。これからずっと5月下旬になってもバラが咲かず、肌寒いこの地で生きるだろうけれど、故郷で育てた肌感覚は死ぬまで大事にしたいと思っている。強く。

 

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エヴリン。

癌種を見つけたので廃棄の準備をしている。挿し穂を一応取り(私は挿し木に成功したことがないので本当に悪あがき)、鋏を消毒した。

でも、エヴリンは冬の植え替えの時にカルスだと信じたかったコブがあったから、たぶん、それがもう『そう』だったんだと思う。だとしたら消毒もやる意味があまりない。というか本当にカルスなのかもしれないが、急にあんなに弱った理由を『それ』の他に思いつかない。

隔離するスペースもなく、うつる可能性を考えれば廃棄しかない。それがすごく悲しい。

 

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が、ベランダでつぼみを待機させている、私のバラは他にもあるのだ。悲しみから春の絢爛を逃したくない。

そしてなにより私はエヴリンを絶対に諦めない。この株は諦めたとしても、生殖でなくクローンで存在し続ける(それには途方もない努力がいる、生み出され愛され残され続けることの途方のなさ)この種のこれからを、絶対に自分で見届けたい。

 

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去年の春に見せてくれた、夢のように心が躍る風景。エヴリンは絶対写真より実際に見るほうがいい。そして、今は写真や思い出にすがるより、手を尽くしてまた会いたいと思っている。

 

我がことながら執念に怖くなりますが、もちろん人生に狂えるものがあるひとは僥倖なのです。

待っていてね、エヴリン。